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12.oh.9

吸って吐いて、また吸って。

クロードと一緒に Being at home with Claude

感想 舞台

Being at home with Claude -クロードと一緒に-

 

R-15作品として上演された作品ですので、

念のため15歳未満の方の閲覧はご遠慮ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1967年7月5日。

モントリオール万博真っ只中のカナダで殺人事件が起こった。

被害者は裕福な名家出身の好青年。

自首してきたのは一人の若い男娼。

彼の隙のない手配によって取り調べは裁判長の執務室で行われた。

外には大勢のマスコミが集められている。

取り調べは36時間も続いたが、未だに事件の形すら見えてこない。

若い男娼、刑事、速記者、警護官。

たった四人だけの部屋で、物語が始まる。

 

 

刑事に聞かれても名前を答えず

被害者の名前を挙げられることも拒絶し

ただただ自分が感じた風の感触や

意識の定まらない感覚に支配されていたことを語り

何があったのかをハッキリ話さない男娼と

彼にひたすら苛立ち声を荒げる刑事を見て

ミステリーのような物語なのかと思っていたのですが、

謎だとかそういった複雑なものではなく

ただ真っ直ぐに在った愛の物語でした。

 

客と寝ることでしか、交わっているつかの間の時間しか、

人を感じる事の出来なかった男娼…イーブ。

彼はあの人…クロードと出会うことで

肌を合わせていない時も、触覚だけでなく視覚や聴覚でも、

人を、そして愛を感じる事を知ったのでした。

身も心も通じ合い、何もかも感じたからこそ、

イーブはクロードとの愛がいつまでも

どこまでも続くものではないということも感じ取り、

その果てに在ったものが殺人事件だったのです。

 

今まで感じたこともなかった本当の愛、

取り調べの中でイーブは

それを言い表すに相応しい言葉が見つけられず

もどかしさに悩むと同時に

一番近いであろう抽象的な表現で伝えたところで

刑事には伝わらないだろうという虚しさに苦しみます。

 

感じること、感じさせることが仕事である男娼と、

取り調べを通じて人間関係や動機などありとあらゆる事を

言葉にまとめさせ真実を掴むことが仕事である刑事、

この二人が向き合いぶつかり合うことの意味を強く感じました。

そしてイーブが証言すること、

話すことが肝である裁判の象徴である裁判長のテリトリーで、

ありとあらゆる事を伝えるのが仕事であるマスコミを集めて

取り調べに挑んだところにも、

彼の「ありのままに伝えたい」思いの強さがあったのだと思います。

 

クロードの部屋で過ごした時間を愛おしそうに語る

イーブの口からタイトルでもある「クロードと一緒に」

という言葉が出た瞬間は胸がいっぱいになりましたが、

二人の愛はクロードの部屋の中でしか存在できなかった結末を知ると

「being at "home" with Claude」という原題に胸が締め付けられました。

 

 

過去数回に渡って上演されてきた本作ですが、

今回は朗読劇として上演されました。

普通の舞台と同じようにセットが存在しているし、

役者さんは椅子に座ったり小道具に触れたりするのに、

なぜ台本を手に持つ朗読劇として上演されたのか。

その答えはクロードに本を読んでもらったことがあると

嬉しそうに語っていたイーブの中にあるように思えました。

彼が読んでくれるのならキャロットケーキのレシピでも心地よかっただろう。

その言葉の中にこそ、体を重ねる以外にも

愛を感じていた瞬間があったように感じられました。

 

 

 

素直に言いますと、

初めて観た今回だけで作品のメッセージを

全て感じ取ることは難しかったです。

それでも私は、言葉があるのに伝えきれない、

伝わるからこそ言葉が要らないことがあるのだ、

というメッセージだけは確かに感じました。

 

 

と書いている今も、

作品から感じたことが上手く言葉に出来なくて

もっと他に言葉があるんじゃないかと思えてきて

もどかしい思いをしています。

 

いつも通り何も知らないまま観に行くことを決意していたのですが、

作中と同じ7月5日にこの作品に出会えたことを嬉しく思います。

これだけは、言葉選びに迷うことなく言い切れます。

 

 

また何かあったら、

というかもう一つ話題があるので

そちらも近いうちに書きます。