12.oh.9

吸って吐いて、また吸って。

あゝ、荒野 前篇

観てきました。

 

無知も大概にしろって話なのですが、

寺山修司氏の作品なのですね…。

 

昨日の今日で観たのは大正解でした。

寺山修司という作家が燃やした命の熱量がそこには在りました。

力強い「生」に終始圧倒されました。

 

原作での時代背景がどうなっているのか分からないのですが、

2020年の東京五輪を終えても就職難の時代が続き

一年間は介護施設での労働を余儀なくされる若者という風景は

このまま行くと本当に訪れる静かな地獄のようでした。

 

そんな社会での生き方に疲れたり絶望し

自殺する者が絶たない中で活動する自殺防止運動団体。

彼らのとある運動の果てに一人の男が

「お前ら全員ブッ殺してやる」

と言い放つシーンがあるのですが、

自殺というのは詰まる所

自分の気に入らない世界をぶっ壊したい衝動なんだよなと

妙に共感したのが忘れられません。

 

糞溜めのような世界でボクシングに出会い

のめり込む新次の姿は「死んでたまるか」と叫んでいるようで、

観終わった時には何とも言えない興奮に包まれました。

 

今から後篇が楽しみです。

 

 

また何かあったら書きます。

 

朗読劇 季節が僕たちを連れ去ったあとに

朗読劇 季節が僕たちを連れ去ったあとに 『寺山修司からの手紙』山田太一編(岩波書店刊)より

 

 

ここ1〜2年ほど生きることが上手く出来ず、

いつものようにモヤモヤと寝転がっていた夜にこの公演を知りました。

松島庄汰さんと朗読劇というと

数年前に「朝彦と夜彦1987」を観に行き、

生きる苦悩のようなものに心が砕けるのではないかというほど

胸を打たれた記憶が強かったのですが、

今回は前に進む力を得られるのではないかと思い観てきました。

 

 

冗談抜きに本を読む頻度が低く恥ずかしいほどに無学で

この物語の幹となる寺山修司氏も山田太一氏も知らず

劇中に出てくる文豪のこともほとんど知らない私ですが、

それでも学生時代に出会い、笑い、

病に苦しむ間は幾度となく文を交わした時間が

この二人にとってはかけがえのないものであり、

その輝きはいつ治るとも分からない、

いつ死んでもおかしくない、

病の闇の中を生きる寺山修司という人間の進む道を照らすには

充分なものだったということだけは

しっかりと感じられました。

 

山田氏の手がけたテレビドラマ「早春スケッチブック」の中には間違いなく

氏から見た寺山修司という男の生きる姿が描かれていたこと、

寺山氏は晩年になって山田氏と学生時代のように語り合う時間をつくり、

その一日一晩一瞬を大切に過ごしたということ、

この事実が私の目にはまるで宝石のように輝いて見えましたし、

「さよならだけが人生だ」とよく口にしていた寺山氏こそが

誰よりも人とさよならすることを寂しく思っていたのではないか

という語りには涙が止まりませんでした。

 

 

 

床に、布団に横たわり、つまらない悩みに時間を消耗している場合ではない。

 

そう思いながら劇場を後にしたわけですが、

私は心根の強い人間ではないので

明日とは言わなくても明後日にはまた

モヤモヤと時間を消耗してしまうかもしれません。

それでも、この物語をふと思い出す時は
自分の進む道が少し照らされる。

そんな気がしています。

 

 

また何かあったら書きます。

 

ハイローランドで誰よりも高く飛んできた話

 

ハイローランドがもう終わっちゃうタイミングでこの話題ですよ。

はい、バンジーしてきました。

 


キッカケは人様のレポブログでした。

一度死んだ気になってみるのも悪くないなと思い、

そこから生きてるうちに体験できる事はしておいた方が楽しい

という結論に至ったわけです。

しかし何よりも私の背中を押したのは

 

 

推しキャラの最期は身投げだったな」

 

 

という突然の気付きでした。

推しキャラというのは私の人生を大きく変えた作品、

仮面ライダー鎧武の戦極凌馬です。

全部わたしのせいだ!!

ああ、そうだな。

 

推しキャラの死因追体験が出来る。

バンジーだから下までは落ちないけど途中までは同じ体験が出来る。

つまり推しキャラの死因体験版ですよ。

 

 

すごくないですか?

 

 

ここで飛ばなきゃ絶対後悔する。

僕の中の僕の声に従って飛んできました。

命、燃やすぜ!

 

 

 

以下は人が落ちるまでの一瞬の出来事である。

 

 

 

自分でもびっくりするくらい綺麗に落ちました。

 

 

肝心なところでチキンだし生まれつきの運動音痴だしで

思うように出来ないかもしれないとほんの一瞬だけ

ヘヴィーなプレッシャーに襲われたのですが、

気が付いたらそんな不安は辺り一面に散らばっていました。

オーゥイェーーーイ!!!!

 

 

推しキャラの死因体験版だとEXCITEしながら挑んだバンジーは

思わぬ感動と達成感を私に与えてくれました。

確実にレベルアップしました、最早ムテキです。

マジ、Life is Beautiful

 

 

ありがとう、HiGH&LOW。

ありがとう、よみうりランド

ありがとう、戦極凌馬。

ありがとう、仮面ライダー鎧武。

 

 

 

ちなみにハイローで一番好きなのは広斗くんです。

 

 

おわり。

 

また何かあったら書きます。

 

今さら気づいたエグゼイドの話

 

最終回後に観るトゥルーエンディングが思った以上に最高でした…。

 

今までは永夢先生の

「生きている限り希望はある」

とか

「人の命には運命を変える力がある」

みたいなセリフが

何となく自分の心の横をすり抜けていくのを感じていたんですけど、

最終回の記者会見を思い出し、

彼の言う「希望」や「運命を変える力」っていうのは

"医療の進歩"を指しているんじゃないかと考えたら

物凄く胸に来るものがあって涙が溢れました。

そして永夢先生が患者を救えなかったと悔やんでいた時っていうのは、

今ある技術で確実に救えた人を救えなかった時だった事にも気づきました。

 

つまり永夢先生は、

どうにもならない事を悔やむのではなく

今はどうにもならなくてもいつか必ず

何か出来る日が来る、何か出来る立場になる

って信じているんですよね。

 

かっこいいなぁ。

 

 

今まではこーいうことをTwitterにダラダラpostしていたんですけど、

分割して語るくらいならブログに書いた方がいいのでは?

という事に最近ようやく気づいたので、これからはそんな感じで書きます。

 

140字なんて縛りももうこわくないぜ!!

 

 

また何かあるに決まってるのでその時は書きます。

 

アマゾンズがあって、エグゼイドが始まって、アマゾンズS2があって、エグゼイドが終わって本当に良かったと思った話。


エグゼイド本編が無事に最終回を迎えましたね。

夏映画を観た辺りからずっと考えていたことがあったので吐き出します。

タイトル通りの話です。

 

子どもがメインターゲット層であるニチアサでのエグゼイドと、

大人に向けて表現規制から解放されたネット配信でのアマゾンズ。

この二つの仮面ライダーは全く違うところにいるようで

本当はものすごく近いところにいるような、不思議な作品でした。

アマゾンズで真正面から突きつけられたものがあったからこそ、

エグゼイドを深く考えることができた部分はきっとあると思うのです。

その中でも特に考えさせられた2つの部分について、つらつらと書きます。

 

 

まずひとつ。

 

バグスターという存在は、最後は全て消えてしまう存在だと思っていました。

 

でも違いました。

 

バグスターはエグゼイドの世界から居なくなりませんでした。

それも、ポッピーのような良性のものだけが残るという形ではなく、

人間をゲーム病で苦しめる悪性のものも含めて残ったのです。

 

何故でしょうか。

 

それは、バグスターも間違いなく命だからではないかと私は思うのです。

「倒されても進化を遂げ、人間を犠牲にして完全体になる」というのは、

「生き抜く為の進化を続け、他の命を食らいながら生きる」人間と同じです。

そんなバグスターウイルスと医師たちの戦いがまだ続いていくという事は、

アマゾンズの最後で語られた「命の脅かし合い」そのものではないでしょうか。

人間の味方として存在することを求められ許されているポッピーやパラドには、

アマゾンオメガ・水澤悠や駆除班にいた頃のマモルと近いものを感じます。

 

 

そしてもうひとつ。

 

アマゾンズで千翼は「"最後まで"生きたい」と主張し、最期まで戦い続けました。

そしてエグゼイドでグラファイト

「俺はドラゴナイトハンターZの龍戦士グラファイト、それが戦う理由だ」

と語り、最高の戦いの中で敵キャラとしての命を全うさせました。

この二人を振り返ると、生きたいということは

どんな最期を迎えたいかという事でもあるように思うのです。

死を恐れずに受け入れ、「これでいいんだ」と

笑顔で言えることこそが生きる喜びなのかもしれません。

だからこそポッピーは自分の体をワクチンに変える為に行動し、

一度は死ぬことを恐れたパラドはゲムデウスに立ち向かっていけたのでしょう。

 

 

パラドとポッピーの力を人間が必要としなくなる日と、

それぞれがもう一度「これでいいんだ」と思える日、

どちらが先に来るのだろうと考えると複雑な気持ちになりますが、

出口のない答えを求めるマーブル色の未知のNewStageが

一日でも長く続いてくれたらいいなと思います。

 

そしてゲーム病で消滅した人達の症状が完治し、

病だけでなく寂しさや悲しみと戦い続けた人が笑顔になれる日が

一日でも早く訪れることも願いたいですね。

 

 

Vシネ三部作が決まってまだまだ終わらないエグゼイドですが、

1クール目から熱狂し最後まで駆け抜けたこの約一年間は

本当に楽しかったです、主題歌通りEXCITEしっぱなしでした。

俳優さんやスタッフさん、制作に関わった全ての方達に

心の底からありがとうと言わせて下さい。

 

もちろん、来週から始まるビルドも楽しみにしています!

日曜朝も観てくれよな!

 

 

 

 

そんなこんなで、一年以上放置していたブログを突然更新しました。

また何かあったら、というか何かあるし色々あったのでまた書きます。

 

セトウツミ(映画)

【公式サイト】映画『セトウツミ』7月2日(土)全国ロードショー!

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別冊少年チャンピオンにて連載中の漫画が映画になりました。

 

漫画の実写作品化が何かと騒がれる今日この頃ですが、

ここ数年出会った中で私が一番面白いと言える漫画が

最高の形で実写化された、そんな映画でした。

 

上に貼った特報動画がひたすら一時間半ほど続くような映画です。

好きだと感じた人は観ましょう。

 

 

 

これだけで充分に魅力が伝わると思うのですが、

とりあえずいつものようにあれこれ書きます。

 

漫画でも絶妙な間が笑いを誘う作品なのですが、

実写化されたことによって本当の「間」を

表現できているところに強みを感じました。

二人の間に生まれた絶妙な間の背景に

犬の散歩をするおばさん、

後ろに映っている一軒家に入っていく人達、

走っていく配達バイク、

これらが加わるだけで妙に面白いんです。

 

瀬戸と過ごす時間を内海は心底楽しんでいることや

樫村さんの群を抜いた可愛さに瀬戸が夢中であること、

そんな可愛い樫村さんのアプローチを受けているのに

振り向く様子を微塵も見せない内海が変わり者であること、

笑いの要素として出てくるけど瀬戸も内海も

実は複雑な家庭事情を抱えていること、

映像を通してこれらが真っ直ぐに伝わってくるのですが、

実はこれ、原作を読んでいても感じる事なんですよね。

 

原作通りに実写化し漫画と同じものを伝えながら

映像でしか表現できない面白さを見せてくれるという、

まさに理想の実写化作品だったと思います。

 

基本的には予告動画にも映っている階段のシーンが続くのですが、

”あの1カットの為にわざわざ撮ったのか…”と思う場所もぽつぽつあって

漫画だと簡単にできる表現を手間を惜しまずに実写化したからこそ

魅力的な映画に仕上がったんだろうなぁと

観終わってから気づかされた部分もありました。

 

あとはすごく個人的な好みの話なのですが、

瀬戸と内海という全くタイプの違う男の子の個性が

制服の着方に現れるのを実写で観ると地味にテンションが上がります。

 

 

恋や部活も青春かもしれないけど、

どーでもいいことをダベっていられる瞬間こそ

一番の青春なのかもしれません。

 

 

また何かあったら書きます。

 

HN collection シリアルキラー展

16/6/9 〜 7/10 特別展示 HNコレクション「シリアルキラー展」のご紹介 ヴァニラ画廊

 

見に行ってきました。

その名の通りの題材なので苦手な方はご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平日の夕方だというのに物凄い数の人がいて圧倒されました。

美術展といえば喉に違和感を覚えるほど乾燥した空気の中で

肌寒いくらいの室温が保たれているものですが、

夏の気候と人混みとで蒸している室内に

扇風機が置かれているだけという光景は、

ここにあるものは芸術として評価されるようなものではなく

物好きな人が個人的に集めたに過ぎないものだ

という事を思い知るには充分でした。

 

 

作品自体に対する感想はというと、

”いかにも”な作品が多くてちょっと意外でした。

猟奇的な事件が想像できないような

それでいて言い表しがたい不気味さを放っている、

そんな作品が並んでいるのを勝手に想像していました。

 

いかにもな作品ていうのは詰まるところ

流血していたり体が欠損していたりする絵なんですけど、

見ていてすごく気になったのが、

絵が上手い上手くないに関わらず

”首が切られている絵はみんな頸椎が描き込まれている”

というところでした。

翌日出先で偶然「権力と暴力」を主題とした

作品を中心に活動している方の絵を見る機会がありまして

その中にも首を切られている絵はあったのですが、

頸椎の表現は特になかったんですよね。

これはただ単に絵のタッチの問題かもしれませんが…。

 

全体的には稚拙なのに腿のラインはやたら艶めかしい絵もあったりして、

どのような形であれ何度も人体と向き合ったからこそ

表現できる部分なのかもしれないと一人で納得していました。

 

 

それからもう一つ、

”細かい作業を繰り返すことを厭わない気配のある作品が多い”

というのも気になりました。

 

石垣を構成する岩が一つ一つ丁寧に描き込まれた風景画、

点描画の狼、複数枚存在する同じ構図の絵、

アイスキャンディの棒を集めて作った寄せ木細工のような置き時計。

これらからは何か一つの物事に執着する強さを感じました。

 

 

絵画だけでなく立体物や手紙なんかも展示されていたのですが

作品そのものよりそれらに添えられた作者…

殺人鬼の犯行や人となりを説明したボードの方が

注目を集めている光景は異様であると同時に、

会場にいる人の殆どが檻の中の猛獣を見ているような

自分とは全く関係のない向こう側の世界を見ているような

雰囲気を放っていてどの展示物よりも不気味でした。

 

 

シリアルキラーの大半は荒れた環境で育った背景を持っている中、

何の問題もない平和な家庭で育ったにも関わらず

薬物に手を出し妄想に取り憑かれ10人以上を殺害したという

ハーバート・マリンの存在には衝撃を受けました。

作品を見ている皆が無意識に引いている一線の上に彼は立っていて、

誰もがいつどこから来るかも分からないどす黒い狂気に駆られて

一線の向こう側へ行ってしまう恐ろしさを抱えているんだという

現実を見せつけられたような気分になりました。

 

 

現実を見せつけられたようだと言いましたが、

会場には「現実」もしっかり展示されていました。

今は無きエド・ゲインの墓の拓、

ボニー&クライドが警察の一斉射撃で殺害された時に

クライドが穿いていたジーンズの欠片、

H.H.ホームズが作り上げた殺人ホテルの外観写真などの

紛れもない現実はどんな作品よりも存在感を放っていて圧倒されました。

 

 

今回の展示の中で唯一引っかかった事なのですが、

末期ガン等の患者の為に安楽死装置を開発した

ジャック・ケヴォーキアンは殺人鬼なのでしょうか。

彼の装置で安楽死した患者は100人以上いたようです。

自ら装置を動かすことの出来ない患者の為に装置を作動させたことで

二件の殺人罪に問われて捕まったようなのですが、

そうなると他の患者は自ら選んで死んだということですよね。

自殺幇助を法で認めるとそれを悪用した殺人が起こることは想像できますし、

それは当然あってはならないことです。

しかし、生き続ける苦しさと死ぬ瞬間の苦しさを天秤にかけて

前者の方がつらいと判断せざるを得ない状況に置かれている人に

安楽死はあってはならない、自ら命を絶つのはよくないことだ、

と言い放つのはどうなのでしょうか。

生きる苦しみを理解できない健全なる人は”正しい”のでしょうか。

 

 

話が逸れました。

戻しましょう。

 

 

シリアルキラーの中には悪魔崇拝者(サタニスト)や

自らカルト教団を立ち上げた人もいたようなのですが、

端整な顔立ちに惹かれて集まる人は多かったという説明に驚きました。

色の白いは七難隠すと言いますが、

顔が良いのは一番隠してはいけない難まで隠すようです。

 

 

 

展示会の存在を知ったのが今月に入ってからだったので

行ったのも感想を書くのも期間ギリギリになってしまいましたが、

10日の16時頃までやっているようなので興味のある方は是非。

 

 

 

また何かあったら書きます。